人の本当の面白さはネットでは分からない

私はしばしばオフ会に参加するのだけれど、そこでよく聞くのが「○○さん思ったより面白かった/面白くなかった」「○○さんがこんな人だとは思わなかった」といったセリフだった。その人がオフ会に参加するときにそこで何を期待しているかにもそれは依ると思うのだが、しかしながらそういった期待みたいなものはオフ会の醍醐味でもある。

 

期待が満たされないと皆ガッカリするし、時にはその相手を攻撃もする。

その逆に期待以上であればその人の身の丈以上にその人のことを褒めそやすこともあるだろう。

そこらへんの期待値のブレが評価のブレに繋がるのは仕方ないだろう。

 

まあそこはどうでもいいんだ。

 

私が本当に面白いな、と思うものは人と人との交わりであり、その交わりの中で現れる人の人間性である。もっというのなら、音楽のライブ感やライブでのその人の振る舞いとも言えるかも知れない。

目の前で流れている空気、会話のレスポンス、熱気、新しい発想を得られたときの喜び、時には恋心や嫌悪感。そういったものが場に生まれ、何かまた新しいものを起こし、消えていく流れが、そしてそれを作り出している人がとても好きだ。

自分のアクションが相手のアクションを起こし、また相手のアクションに影響され自分が新しい行動をする。次に何が起こるか、ある程度予想できつつ、けれども完全には予想出来ない。そういったセッションのような感覚が私にとっては「本当に面白い」。

 

残念ながら私はネット経由ではそのライブ感は得られない。

相互作用的な発信に見えたとしても、個々人は発信のときに少なくとも内側に籠っており、ライブのときのような、相手のリアルタイムの反応ありきのアクションを起こすことは出来ない。

勿論私にとってインターネットは自分のクソみたいな自意識を垂れ流す場所であり、とても大切な場所である。多くの人にとってもきっとそうであるだろうし、誰にでもある程度そうした自分にとっての掃き溜めや殴り掛かれるワラ人形たちは必要だろう。

けれど現実世界で論争を展開したときの空気と、インターネットを挟んで議論を交わす空気は違う。

卑近な例で言えば甘い言葉をLINEで囁くのと、目の前で愛の告白をするのとでは雲泥の差だ(私は前者は断られたら非常に気まずい思いをするが後者にはどんな反応が返って来ても「面白い」と思う)。

 

インターネット上の関係だって私は非常に尊いものだと思う。

そこで得られた関係に救われたことも、高められたことも、たくさんあった。

 

けれどもやっぱりそれはライブではない。

そのことだけはどうしても代替出来ない。

インターネットに何年もどぷどぷと漬かってても、その「面白さ」だけは、どうにも作り出せなかった。

 

でも、仲良くしてね。

いつかどこかで一緒にライブが出来ますように。