自分と向き合うということについて
「自分と向き合う」ことって、そんなに大事なことだろうか?と最近よく考える。
確かに自分のことを客観的に見ることで得られるものは大きい。
自分が何が出来ていないかが分かれば、改善して仕事に役立てることも出来る。性的対象からどう見られてるかが分かれば、モテるために自分の振舞いを変えることも出来る。
けれどもそれは本当にその人にとってプラスなことだろうか。
自分のことが盲目的に好きな人間が「自分はこういう人間だ」「自分は人から見るとこうだ」と言っている様子は、なんだか滑稽で嘘くさくも思える。
一方で、自分自身のことを嫌っている人間が自分と向き合って得られるモノは、「お前はこういうところがダメなんだよ」という更なる自己嫌悪であり、痛々しい。
自分のことを盲目的に好きな人間も、嫌っている人間も、「自分と向き合う」という行為はあまり薬にはならないように思う。
それは「自分は」「自分が」と自意識を肥大化させる可能性を秘めている。
なまじ世間的には上手くいくようになるから、そのことに気付くのも難しい。
そうして自分と向き合った結果、自意識中毒とでも言うべき状態に陥っていく。
自意識中毒にならないためには何をすればいいのか?
そのために大事なことが、「自分の内側の声を聞く」ということだと思う。
自分自身が求めているものを聞く。自分がどうなりたいのか、何をイヤだと思っているのか、そういったものを聞く。
否定せず、バカにせず、自分自身の声を、一生懸命身振り手振りを使って話す小さな子どもと対峙するように、聞く。
自己陶酔や自己嫌悪といったナルシズムに基づいた行動ではなく、自分の声を聞くという形で自己受容をするのが、自意識を拗らせない上で非常に大事なことだ。
「自分と向き合おう」とするとどうしても自分を甘やかしすぎたり、傷つけたりする人は、向き合おうとするのではなくて、自分の声を聞いてみてはどうだろうか。
気付かなかっただけで、実は必死にあなたはあなたに語りかけているかも知れない。